取材の現場から ダイエーは革命の歴史

取材の現場から 連載


ダイエー(8263)の屋号が無くなる。12月26日に上場廃止となり、年明けにイオン(8267)の完全子会社となる。両社とも日本の流通革命をけん引した会社だが、実際に「革命」を手掛けたのはダイエー創業者の中内功氏だと言って間違いはないだろう。ダイエーが切り開いた道を、ほかの流通各社が舗装していったイメージだ。その意味で、ダイエーが消えるのは、一つの時代の終わりといっていい。

ダイエーの経営は、まさに革命。メーカーが握っていた価格決定権を小売が奪取する戦いだった。「良い品をどんどん安く」をスローガンに価格破壊を進めた。PB(プライベート・ブランド)商品を自ら作り、メーカーに戦いを挑んだ。パナソニック(6752)との「30年戦争」では、音響メーカーのクラウン(現・宮越HD、6620)に資本参加し、低価格テレビを発売して対抗。この手法はユニクロ(ファーストリテイリング、9983)のSPA(製造小売)の先がけとも言われる。

中内氏は、日本の複雑な流通構造が価格を引き上げているとみていた。問屋による「搾取」なのだという。そこでダイエーは、ダイエーロジスティックシステムズ(現・ロジワン)を設立し、自社物流に乗り出した。これも革命だ。

これに異を唱えたのが、サミット(住友商事、8053)の荒井伸也社長だった。「安売り礼賛に異議あり」と、ダイエーの手法の誤りを指摘。PB悪玉論も広まったが、中内氏は自らを「PB大魔王」と名乗り、反論を展開した。

ニトリHD(9843) 週足

ニトリHD(9843) 週足

しかし、世の中は大きく変化した。ダイエーは土地や店舗を自社保有し、それを担保に借金をしてきたが、バブルが弾け、BIS規制が導入されたことで、ダイエーの借金は大手行の不良債権となった。当時、店舗をほぼリースで展開していたイトーヨーカ堂(セブン&アイHD、3382)の有意性がもてはやされた。こうしてダイエーのビジネスモデルは崩れ、経営破たん。イオンと丸紅(8002)の下で再建を続けたが、結局はイオンに吸収されることとなった。

ダイエーは間違っているのだろうか?いや、ダイエーの後継者としてニトリHD(9843)の名を挙げる向きもある。ニトリは製造、販売だけでなく、物流も自前主義。商品の8割はPBで、確かにダイエー方式を継承している。似鳥昭雄社長は、中内氏とともに流通革命を広めた経営コンサルタント・渥美俊一氏の薫陶を受けている。中内氏がその半生をつづった著書のタイトルは、「流通革命は終わらない」だった。その名が消えても、ダイエーの志は消えない。

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